英愛条約はアイルランドの分離独立派(アイルランド共和国(暫定政府)として活動した)とイギリス政府の間で発生したアイルランド独立戦争の講和条約として締結された。この条約によりアイルランドには自治が認められ、
アイルランド島のほぼ全域を統治し、
アイルランド警察と
アイルランド国防軍を設立することになった。しかし多くのアイルランド
民族主義者が望んだ共和国建国は行われず、
イギリス国王を
元首とする
イギリス帝国の傘下に留まることになった。さらに条約では、新たに設けられる
アイルランド議会の議員は自由国憲法およびイギリス国王に忠誠を誓うこととされていた。自由国は西部・南部アイルランドの26州で構成され、
アルスターの6州は
北アイルランドとしてイギリス統治下に残された。いくつかの港は
イギリス海軍の管理が続く事になった。これらの内容にもかかわらず、条約を締結した独立戦争のアイルランド側指導者
マイケル・コリンズは、この条約について“全ての国々が望む最終的な自由ではないが、それを実現する可能性が与えられた”と述べている。後に彼の政敵によってこの言葉は証明され、自由国は
アイルランド共和国となり、イギリスからの完全独立を達成している。しかし、1922年当時には多くの反英活動家が、条約を認めてはイギリスからの独立は永久に訪れないと考えていた。
ドイル・エアラン(アイルランド共和国の議会)は1921年12月、かろうじて英愛条約を批准した。条約の批准に際してデ・ヴァレラはアイルランド共和国首相を辞任し、議会外で反条約を掲げる
シン・フェイン党を統率した。彼は議会の正統性を攻撃し、議員たちはアイルランドへの忠誠義務に違反していると訴えた。マイケル・コリンズと
アーサー・グリフィスにより率いられていた政府は、条約に従って
アイルランド自由国を建国し、独立戦争を戦った
アイルランド共和軍(IRA)に代わる国防軍と警察の設立を行った。英愛条約の賛同者側は条約賛成派、国軍、自由国であり、それに対して反対者側は条約反対派、不正規軍、共和国であった。IRAは1916年の
イースター蜂起の際に建国宣言が行われたアイルランド共和国(暫定政府)の正統性を主張し、自由国建国という妥協を行った者たちを裏切り者であると見なしていた。デ・ヴァレラも義勇兵としてIRAに参加し、
リーアム・リンチらが指導者となった。
条約反対派は、イギリス軍との戦端を再び開けばアイルランドの民族主義者たちが一つになれると予想していた。しかし自由国の建国を決断し、困難な状況下でアイルランドの自治を進めていこうと試みていた条約賛成派の指導者たちにとって、彼らの行動は反乱に他ならなかった。マイケル・コリンズはフォー・コーツを占拠するグループに対し、その場を立ち去るように説得したが、オコナーらはこれを拒否、コリンズはフォー・コーツの砲撃を決断した。この決定の影には、イギリスによるアイルランド再占領の可能性を恐れていたコリンズの思惑があったとされる。フォー・コーツを巡る争いはイギリス軍の撤退に伴い国中で発生していた騒乱の一つにすぎないが、結果的に内戦の開幕を告げる転換点となった。