アメリカ合衆国副大統領 wikipedia|無料辞書
アメリカ合衆国副大統領(アメリカがっしゅうこくふくだいとうりょう、Vice President of the United States、略称:VPOTUS、通称:VP(ヴィーピー)・Veep(ヴィープ))は
アメリカ合衆国の
副大統領である。
生まれながらにしての合衆国市民であり、通算14年以上合衆国に居住する、35歳以上の者に副大統領としての資格がある。
◆ 職務
アメリカ合衆国副大統領は、アメリカ合衆国の
行政府を代表する第二位の官職である。
大統領が死去・辞任・免職などにより欠けた場合は、副大統領が大統領に昇格する
[合衆国憲法修正25条第1節。]。事故・病気などにより大統領が一時的に職務遂行不能になった場合は、副大統領が臨時に大統領権限を代行する。
副大統領はまた
上院議長を兼務し、可否同数の場合のみ均衡を破る一票 (
議長決裁票、tie breaking votes) を投じる。ただし副大統領は上院議員ではないので、今日では実際に上院本会議場に赴いて議事進行を司ったり採決に加わったりすることは一切ない
[ただし副大統領は上院議長として1960年代初頭までは日常的に上院本会議の議事進行を司っていた。副大統領には上院議員出身の者が圧倒的に多い一因もここにある。しかし第二次世界大戦終盤の1945年と冷戦たけなわの1963年にハリー・トルーマンとリンドン・ジョンソンが次々に大統領に昇格するという事態が起ると、以後の副大統領にはもっぱら「控え」としての存在が求められるようになり、その結果ホワイトハウスに出入りして閣議に出席することの方が日常的となり、上院本会議の議事進行を行なうことはほぼ皆無となった。]。今日では大統領の
一般教書演説などが行なわれる上下両院合同本会議が開かれるときのみ、下院本会議場で下院議長と共に共同議長を務めるのが唯一の「議長」としての役目となっている。
◆ 位置付け
しかし近年では行政権の肥大化によって過重となった大統領の職責を分担していく傾向にあり、
アル・ゴア副大統領は通信政策改革や環境政策等を担当した。さらに
ディック・チェイニー副大統領は当初より将来における大統領選への不出馬を表明し、実務担当を公言してホワイトハウス入りし、オフィスも例外的にウェストウィング内に構えている。
◆ 選出方法
四年ごとの
大統領選挙の年は、年明けから各州で
予備選や
党員集会が行われ、春過ぎごろには大統領候補指名を獲得するために必要な全国党大会代議員の過半数または大多数を得た候補が明らかになってくる。大統領候補指名の獲得が確実になると、その候補は夏の全国党大会に先立って「ランニングメイト (running mate、伴走候補とも)」と呼ばれる副大統領候補を発表する
[近年の大統領選では、ほとんどの副大統領候補の発表が全国党大会の2〜3週間前から2〜3日前の間に行なわれている。]。ただし代議員獲得数が複数の候補間で大きく割れて明らかな本命がいない場合には、党大会における代議員投票で実際に大統領候補を選出して指名を行うまで、副大統領候補も決まらない。大統領候補が正式に指名されると、その候補は自分の副大統領候補を正式に発表する。
こうして大統領選は本番を迎えるが、副大統領候補となった者は多くの場合知名度で大統領候補に大きく引けを取るので、選挙戦の前半は文字通り大統領の伴走者として二人三脚で各地を転戦し、顔と名前を売ることに務めることになる。
11月第一火曜日の大統領選挙の日に有権者が票を投じるのは、実は大統領候補に対してではなく、この「大統領候補と副大統領候補がペアになっている二人三脚候補」に対してである。したがって大統領候補が当選すれば、その副大統領候補も大統領候補とまったく同じ得票で支持された「当選者」となる。
このように、固有の職務をになう複数の候補が組み合わせとして単一投票の候補者となっていることを、「チケット (ticket)」という。通常副大統領候補には大統領候補と支持基盤、政策、キャラクターなどが異なる人物が選ばれ、大統領候補の弱点を補完することになる。大統領候補と副大統領候補が夢の組み合わせのような場合には、これを特に「ドリームチケット」という
[1980年の共和党の予備選挙では、前半でブッシュ元CIA長官が予想以上に善戦した。そのため過半数を悠に超える代議員数を得ていたレーガン元カリフォルニア州知事も、副大統領候補の選定には慎重にならざるを得ない状況にあった。指名は全国党大会の最終日前日に行われる大統領候補指名の後まで持ち越しとなったが、このときドリームチケットとして紙面を賑わせたのがフォード前大統領をレーガンの伴走者にするという「レーガン=フォード」チケット構想である。フォードはニクソン大統領の指名と上下両院の承認をもって副大統領に就任、さらに翌年にはニクソン辞任にともない大統領に昇格した。ところが現職大統領として戦った1976年の大統領選挙では民主党のカーター候補に破れている。この「大統領選挙に一度も勝ったことがない大統領」になんとか勝利の美酒を味わわせたいという願いもあって、この案は各方面から支持され、一時は既定のシナリオとみなされていた。しかし「ホワイトハウスは二人の大統領の仕事場としては狭すぎる」と判断したレーガンは、結局党内融和と左右のバランスを優先、予備選で次点となったブッシュを副大統領候補に指名した。]。