ウタイターニー県は元々
モン族や
ラワ族が住んでいた土地である。
スコータイ王朝時代になってターオ・マハープロムと呼ばれる有力者によって現在のウタイターニー県地域にタイ人の入植が行われたと地元の
タムナーン(歴史書)は伝えている。このときこの地域に着けられた名前は名称はムアン・ウータイ(タイ族のゆりかご)であった。このターオ・マハープロムに始まるタイ族の入植は県内を流れる川の水流が変わったため投げ出され、いったんこの地は見捨てられた。しかし、後のアユタヤ王朝時代には、
カレン族がここへ入植。そのリーダーであるパタブートという人物によって貯水池が建設され、一大農業地としてウタイターニーは発展を遂げた。この後地域は、ムアン・ウータイがなまってこのムアン・ウタイと呼ばれることになる。
アユタヤ王朝後期になると、ビルマ軍のアユタヤ王朝進入が活発化し、ビルマ軍の進入経路の途上にあったムアン・ウタイは軍事要所としての重要性を増した。このときアユタヤ宮中では、プラ・ポンソンクラームとプラ・インタラデートという二人の武人がこの地域の警備役に任命された(ただし、二人の赴任先は現在の
ターク県ウムパーン郡である)。後の
エーカートッサロットの時代には現在の名称であるウタイターニーと改められウタイの綴りもサンスクリット風に改められた。このため現在のウタイターニーという名前は「夜明けの町、始まりの町」を意味する。
アユタヤ王、
ターイサの時代には、トーンダムというモン族でアユタヤ王朝の官吏であった人物が移住してきた。この息子は
トーンディーと言い、
ラーマ1世の父親に当たる人物である。後の
チャクリー王朝初期にはラーマ1世の父親ゆかりの地ということから、ウタイターニーはやや開発がなされた。
1892年、ウタイターニーはモントン・ナコーンサワンに加えられ、その後
1898年に県として独立した。