カナンという名称の起源は不明であるが、文献への登場は
紀元前3千年紀とたいへん古い。
シュメール人の都市
マリの
紀元前18世紀の残骸で発見された文書では、政治的な共同体として明瞭に見いだされる(恐らくは都市国家間のゆるい連合であろう)。
紀元前2千年紀の期間中には
古代エジプト王朝の州の名称として使われ、地中海を西の境界とし、北は南レバノンのハマトを経由し、東はヨルダン渓谷を、そして南は死海から
ガザへ、と描写された。これは、
旧約聖書の「
民数記」34章1-12節の記述と符合する。
カナンはイスラエル人到来前には明らかに民族的に多様な土地であった。「
申命記」7章1節によれば、カナン人とはイスラエル人に追い払われる7つの国民の1つであった。聖書の他の記述によれば、カナン人は地中海沿岸付近に居住していたに過ぎない(「
民数記」13:29)。この文脈における「カナン人」という用語は、まさに「
フェニキア人」に符合する。
カナン人が誰であろうとも、彼らは
近東の広範な地域において、商人としての評判を獲得していた。
メソポタミアの都市ヌジで発見された
銘板では、赤あるいは紫の染料の同義語として "Kinahnu" の用語が使われ、どうやら有名なカナン人の輸出商品を指すらしい。これもまた、「ツロの紫」で知られるフェニキア人と関連付けることが可能である。染料は大抵の場合、その出身地にちなんだ名を付けられた(
シャンパンのように)。同様に、旧約聖書に時折例示されるように、「カナン人」は商人の同義語として用いられ、カナン人を熟知した者によってその容貌が示唆されたものと思われる。