15歳で労働奉仕団・空軍補助兵を勤め、17歳で武装親衛隊に入隊した後、敗戦を迎え、米軍捕虜収容所で半年間の捕虜生活を送る。その後、
デュッセルドルフで彫刻家・石工として生計をたてながら美術学校に通い、詩や戯曲なども書く。1958年には朗読による作家・批評家同士の作品発表の場「
47年グループ」で才能を認められ、1959年発表の長編小説『ブリキの太鼓』で一躍有名作家となった。
その作風は非現実的な奇怪さと、詳細なデータに裏付けられた現実性の両方が同居する特異なもので、作品の発表ごとに物議をかもしている。その一方で、
ドイツ社会民主党の応援など積極的な政治活動でも知られている。1990年のドイツ再統一の時には、「ドイツは文化共同体としてのみ統一をもつべきだ」、と政治的統一には徹頭徹尾反対を唱えたことが大きな議論を呼んだ。1999年には
ノーベル文学賞を受賞した。また2002年に起こった
アメリカのアフガニスタン侵攻を「文明にふさわしくない」と述べ、武力をもって武力を制するやり方を批判した。