1921年3月7日、クロンシュタットの水兵たちが独裁化しつつあった
ボリシェヴィキ政権に対して、「全ての権力をソヴィエトヘ!」というスローガンの下、自由選挙の保障、言論・出版の自由、政治犯の釈放、個人の財産の所有権などを要求して蜂起した。当時、ロシア共産党政治局員の一人でペトログラード・ソヴェト議長だった
ジノヴィエフは、ただちにクロンシュタットに軍を送り、
トゥハチェフスキー司令官の指揮の下でこの蜂起を鎮圧した。これは、ボリシェヴィキ政権の
ソビエト国内で、最後にして最大規模の反政府反乱であった(「クロンシュタット蜂起」鎮圧の指揮を執ったのは
トロツキーとする俗説があるが誤り。当時トロツキーは南部戦線で指揮を執っていた。しかし、トロツキーは後年、スターリンによる追放後も「クロンシュタット蜂起はなんらの展望も持たない反革命蜂起であった。私はソヴィエト政府による鎮圧を擁護するし、その意味においてこの鎮圧の全責任を負う」と述べている。)