巨大な権限を握ったゲーリングは、
ドイツ国会議事堂放火事件を利用して、1933年2月28日に4000人という大量の
ドイツ共産党員を逮捕することに成功した
[阿部良男著『ヒトラー全記録』柏書房、221ページ]。こうした政治的逮捕にあたってゲーリングは、プロイセン州警察の政治警察部門「1A課(Abteilung 1A)」を使用していた。この1A課はナチス党政権掌握前の
ヴァイマル共和政時代からプロイセン州警察に存在していた秘密警察部署であり
[ハインツ・ヘーネ著『髑髏の結社 SSの歴史(上)』(講談社学術文庫)149ページ]、「警察は現行法の枠内で行動する」というプロイセン警察施行令第14条の適用の対象外とされている組織だった
[ハインツ・ヘーネ著『髑髏の結社 SSの歴史(上)』(講談社学術文庫)150ページ]。ナチス党の政権掌握後の1933年2月6日にゲーリングはこの課の課長としてプロイセン州内務省高級官僚
ルドルフ・ディールス(彼は非ナチス党員だった)を置いていた
。
1933年4月26日付通達でゲーリングはプリンツ・アルブレヒト街8番地にあったホテルを接収して、ここにプロイセン州秘密警察局(Preussisches Geheimes Staatspolizeiamt)を新設し、プロイセン州の政治警察の一本化をはかった。1A課もここに吸収され、その中核となった
[阿部良男著『ヒトラー全記録』柏書房、233ページ][ハインツ・ヘーネ著『髑髏の結社 SSの歴史(上)』(講談社学術文庫)309ページ]。これが
ゲシュタポの原点である。ちなみに「ゲシュタポ」という略称は、郵便局がここのスタンプを作る際、「GESTAPA(ゲシュタパ)」という郵便略号を使ったのが、いつの間にか「GESTAPO(ゲシュタポ)」の名で知れ渡るようになったものである
[ハインツ・ヘーネ著『髑髏の結社 SSの歴史(上)』(講談社学術文庫)150ページ]。この日に公布された第1ゲシュタポ法は、ゲシュタポを最上位警察とし、その職務は秘匿とし、州内相(ゲーリング)にのみ責任を負うと定めていた。ゲシュタポを指揮するゲシュタポ局長(Leiter der Geheimen Staatspolizeiamt)には
ルドルフ・ディールスが就任した。さらに1933年11月30日には第2ゲシュタポ法が公布され、ゲシュタポ局長の上にゲシュタポ長官(Chef der Geheimen Staatspolizeiamt)を置き、長官は州首相(ゲーリング)が兼務するとされた。ゲシュタポはドイツ国内務省やプロイセン州内務省から切り離され、完全にゲーリングの個人的指揮下に置かれる形となった
[『欧州戦史シリーズVol.17 武装SS全史1』(学研)114ページ][ハインツ・ヘーネ著『髑髏の結社 SSの歴史(上)』(講談社学術文庫)160ページ][ジャック・ドラリュ著『ゲシュタポ・狂気の歴史』(講談社学術文庫)81ページ ]。
ゲーリングは、ゲシュタポ以外でも体制を固め、32人の現職警察署長のうち22人をナチス
突撃隊員や
親衛隊員に挿げ替え、
ドイツ社民党系のプロイセン州官吏を追放するなどしてプロイセン州に強力な支配体制を築いていった。ゲーリングは1933年4月10日に
フランツ・フォン・パーペン(ドイツ国副首相)から譲られてプロイセン州首相となっている。