サッポーの『生涯』は『伝説』の域を出ず、歴史学的に(パピルス文献学上)不明で、一説に拠ると『サッポー(の夫)(推定名「
ケルキューラース」)は富裕な商人で、サッポーは夫とともに各地に頻に旅行した...』ともあるが、
アルカイオスとの友愛(残存詩片から確認)は存続し、仮令『男友』は多けれども、一度夫と『結婚』し、一女『クレイス』を生み、かなり早い時期に夫と死別、その後は寡婦を徹したとの説がその才媛の勝気な詩作からの類推に拠り有力視されている。また、サッポーは
アルカイオスと異なり、政治には自身の詩作上において関わず、主観の方向は内的情熱に傾倒し、亡命の際以外、政治への関与は避けた。
その一方で後世にはサッポーの作品は頽廃的であるとみなされ、さまざまな非難を浴びた。すでにローマ時代にもサッポーは非難の的となっていたが、
キリスト教の隆盛とともに、サッポーの詩は異教的頽廃の代名詞ともされ、多くの作品が失われた。非難の中にはサッポーを貶めるため、サッポーを
同性愛者とするものもあった。そのため Sapphic (サッポー風の)は女性同性愛者を呼ぶのにも用いられた。今日、女性同性愛者を呼ぶ一般的な呼称である「レスビアン」もサッポーが
レスボス島出身であることに由来し、その誤解(曲解)から、同島の現代の一般名称は
ミティリーニ島の名称に好んで替えられて呼ばれている。