牧師館に帰ると文学にふけり、弟ブランウェルとの合作「アングリア物語」など、多くの詩や戯曲を書く。1831年より、私塾で1年半学び、その後家庭教師として各地を転々とする。牧師館に戻ると妹と相談し私塾を開くことを計画し、エミリーとともに1842年、
ベルギーの
ブリュッセルにあるエジェ寄宿学校へ留学。一時期伯母の死のためにイギリスに戻るが、エミリーを残して再びブリュッセルに戻った。だが留学先のエジェに恋慕を抱いてしまい、1年足らずで帰国。その後私塾を開くが、入塾希望者は現れなかった。
ロンドンに出るように誘われるようになると、身元を明らかにし、
ギャスケル夫人や
サッカレーらと交わった。作品も『シャーリー』(1849年)、『ビレット』(1853年)などを発表、1854年6月に副牧師のアーサー・ニコルズと結婚した。だが妊娠中に発病、
1855年3月31日に、「エマ」を未完のまま死去した。3姉妹だけでなく6人の中でも最も長く生きたが、それでも38歳の若さであった。