689年から
695年まで
唐の僧、
義浄がパレンバンを訪れていた。彼の記録は初期のシュリーヴィジャヤについての貴重な資料の一である。同じ時期、7世紀から9世紀にかけて貿易や征服を通じて地方の支配を始め、
ジャンビ王国を乗っ取った。王国はマレー文化がスマトラ島やマレー半島、
ボルネオ島西部のあらゆる所に拡散するのを助長した。
クディリ朝の
ダルマヴァンシャ王は、シュリーヴィジャヤの交易独占を阻止しようと、992年からマレー、スマトラ各地に侵攻した。しかし、1016年に地方領主の一人ウラウリ王の反乱によって、ダルマヴァンシャが殺害された。その背後に、シュリーヴィジャヤの力が働いていたのではという説もある。1025年に南インドを支配していた
チョーラ朝の
ラージェンドラ1世の軍勢の遠征でシュリーヴィジャヤは打撃を受けて衰退した。スマトラ島はジャワの
シンガサリ朝、続いて
マジャパヒト王国からの征服にさらされた。同時期、
アラブや
インドの商人との接触を通じて広まった
イスラム教徒がスマトラ島の地方に
アチェ王国を建国した。13世紀の後半までに、
サムドラ王国の君主はイスラム教徒に改宗した。同じ頃シュリーヴィジャヤ王国は
クメール王朝の、後に
スコータイ王朝の属国になった。