第49・55・57代
NWA世界ヘビー級王者(日本人としては初の世界タイトル奪取)。第3・5・7代インターナショナル・ヘビー級選手権者。初代・5・7・9代PWFヘビー級王者。第6代アジアヘビー級王者。全日本プロレス創立者。血液型O型。身長209cm(読売ジャイアンツ時代の発表は203cm)、体重135kg(全盛期は145kg)。
リングネームは、初渡米武者修行中の1961年、ニューヨークの大プロモーターであったビンス・マクマホン・シニアが「ババ・ザ・ジャイアント」と命名したことに由来する。1999年1月31日、生涯現役のまま逝去した(逝去後に引退セレモニーが執り行われた)。
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1960年4月には
日本プロレス(日プロ)へ入団、
力道山の元に弟子入り。力道山からは特別可愛がられた。新弟子の中で唯一給料を貰い、アパートから道場に通っていた。同年
9月30日デビュー。その後何度か
アメリカに渡り、数々のタイトルに挑戦する。アメリカ時代のリング名は、当初は本名の馬場正平(
ショーヘイ・ババ)であったが、「
フランケンシュタイン・ババ」、「
ビッグ・ババ」、「
ババ・ザ・ジャイアント」など様々なリングネームがあった。アメリカでは、大舞台でのメインイベントの試合も多く、当時は大変な知名度があったとされる(その為、『日本人として初めてアメリカで成功したレスラー』と言われている)。アメリカではヒールとして活躍し、米レスリング専門誌『レスリング・レビュー』では、生傷男ブルーザー、殺人狂コワルスキー、東洋の悪魔ババとして、世界三大悪党と並び称されるようになった。アメリカでの師匠は、
フレッド・アトキンス(後に
タイガー・ジェット・シンもアトキンスの指導を受けている)。1964年2月には
NWA(
ルー・テーズ)、
WWWF(
ブルーノ・サンマルチノ)、WWA(
フレッド・ブラッシー)の三大世界王者に連続挑戦した。実は
1962年8月31日に一度 NWA王者に着いている。
オハイオ州コロンバスにおいて、ビル・ミラーと
カール・ゴッチが、当時のNWA世界ヘビー級王者
バディ・ロジャースと控え室でトラブルを起こし試合を控えてたロジャーズは欠場。一時 対戦相手の馬場に移動するが結局、馬場は返上。レコードとしては認められていない(『馬場伝説』 筑摩書房、1996年発行より) 。