東南アジア地域での
共産党の活動は、
華僑によるところが大きい。シャムの南、英領マラヤ(現在の
マレーシア)で活動していた
マラヤ共産党は北方のシャムにまで活動ネットワークを広げ、そのマラヤ共産党の音頭とりで
1927年以降マラヤ共産党シャム特別委員会が誕生した。一方、同じシャムの東北部では
ベトナム青年革命会の流れを受けついだ共産主義グループが存在しており、この2つのグループが
1930年に統合することでシャム共産党は誕生した。しかしながら、マラヤ共産党シャム特別委員会はマラヤ共産党と同様、華僑を中心とした組織であり、もう一方の共産主義グループもベトナム移民によって構成されたものであった。そのためシャム共産党は、結党の時点ではシャム人党員が一人も居なかったとすら言われる。シャム共産党は、このような事情でマラヤ共産党、
インドシナ共産党との結びつきが極めて強く、両党との密接な関係下で活動展開をしていった。
タイに於いては1952年に制定された反共法以降、共産主義者の定義が成された。同法律題三条によれば、「国王を君主とする民主主義体制に背く」ことや、「国家の経済政策を転向させようとする行為」、これらの目的のために「社会の秩序を乱したりする」者や様々な活動を行う者であると明言されている
[矢野暢『冷戦と東南アジア』中央公論社、1986年、295〜296頁]一方、逆に
プリーディー・パノムヨンの様に、思想的には共産主義的であったが、政府から共産主義者でないとする「お墨付き」までもらっている人物もいた
[村嶋英治『現代アジアの肖像 9 ピブーン』岩波書店1996年、207頁]。