ダコタ準州の領域の大半は、元々は
ミネソタ準州と
ネブラスカ準州だった。ネブラスカ準州のほぼ北半分全域と、
ミネソタ準州が
1858年に州に昇格した時、自治化されなかった(新しい州に含まれなかった)地域(東を
レッドリバー、西を
ミズーリ川に囲まれた部分)の初期開拓者らは、同年、
ヤンクトン - スー族との条約[‘’Yankton ? Sioux Treaty in 1858’’、ヤンクトン・スー族は、居留区に移り住み、それまで所有していた土地40万平方メートル以上はアメリカ合衆国に譲渡するというもの]が調印され、
ラコタ族の土地のほとんどがアメリカ合衆国に割譲された頃、非公式に
暫定政府を樹立し、アメリカ合衆国の準州となるべく働きかけを行ったが不成功に終わった。しかし、当時大統領就任直前の
エイブラハム・リンカーンとは義理の従兄弟にあたる J・B・S・トッドが自ら請願を行い、連邦議会が正式にダコタ準州設立が承認されるのにその後3年は掛からなかった。
準州となった後しばらくの間、人口の伸びはゆっくりだった。その後
1870年から
1880年にかけて「ダコタ・ブーム」となり急激な伸びとなった
[ The New Encyclopedia of the American West. Ed. Howard R. Lamar. 1998 Yale University Press, New Haven. pp. 282 ]。初め人口の伸びがゆっくりだったのには多くの理由があった。主な理由として、
スー族インディアンが大変敵対的と考えられており、初期開拓者には脅威となっていた。その勢力は徐々に平定されてゆき、脅威はそれほど深刻なものではなくなっていった
[ Encyclopedia of the American West. Ed. Charles Philips and Alan Axelrod. 1996 Macmillan Reference USA, New York. pp.1200-1201 ]。人口増加は鉄道網の発展、特に
ノーザン・パシフィック鉄道に負うところが大きかった。ダコタ準州にやってくる開拓者は、他の西部準州からの者もいたが、
ヨーロッパの北部と西部から来る者も多かった。その中には多くのノルウェー人、
ドイツ人、
スウェーデン人およびカナダ人がいた
[ John H. Hudson, "Migration to an American Frontier," Annals of the Association of American Geographers,(June 1976), 243-244 ]。
ダコタでの生活は農業と肥沃な土壌により営まれた。小麦が準州の主要換金作物となった。1880年代には小麦価格の下落や、ひどい旱魃に見舞われ、準州は経済的困難に直面した。その他の経済活動としては鉱業と牛牧場業があった。
ブラックヒルズで金脈が発見され、その地域に多くの開拓者を惹きつけた。この人口増加によって、食肉生産量の増加が必要となり、牛牧場の経営はダコタの広大な土地において傑出したものになっていった
[ The New Encyclopedia of the American West, 282 ]。