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「ダレル・メイ」||小説-master.com 【05/27update】
ダレル・メイ
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|出身地 =
カリフォルニア州
サンバーナディーノ郡
|生年月日 =
|没年月日 =
|身長 = 188
|体重 = 77
|利き腕 = 左
|打席 = 左
|守備位置 =
投手
|プロ入り年度 =
1992年
|ドラフト順位 = ドラフト46位
|初出場 =
|最終出場 =
|獲得タイトル =
|年俸 =
|経歴 =
・
ローグリバー高等学校
・
サクラメント市立大学
・
アトランタ・ブレーブス
(1995)
・
ピッツバーグ・パイレーツ
(1996)
・
アナハイム・エンゼルス
(1997)
・
阪神タイガース
(1998 - 1999)
・
読売ジャイアンツ
(2000 - 2001)
・
カンザスシティ・ロイヤルズ
(2002 - 2005)
・
ニューヨーク・ヤンキース
(2005)
|選出国 =
|選出年 =
|得票率 =
|選出方法 =
-->
ダレル・ケビン・メイ
(
Darrell Kevin May
、
1972年
6月13日
- )は、
アメリカ合衆国
カリフォルニア州
出身の、アメリカ
メジャーリーグ
の
プロ野球選手
(
投手
)。
日本
の
プロ野球
でも活躍した。
◆ 来歴・人物
、の2年間、
阪神タイガース
でプレーし安定したピッチングを見せたが、打線の援護が乏しく2年間でわずか10勝に終わる。1999年
7月18日
の
巨人
18回戦(
甲子園
)、1点ビハインドの6回表2アウト二塁で
高橋由伸
がファーストゴロを打った際、ベースカバーに走ったが、ベースを踏んでないためにセーフとされ、抗議したメイは
杉永政信
審判の胸を突き、暴力行為で退場となった。抗議をしている間に二塁ランナーが還ってしまい、この
失点
が響いて阪神は2対3と競り負けた。
当時監督の
野村克也
と対立し、シーズン中に
東京スポーツ
誌上で痛烈に野村を批判したコメントを発表し更に
英語
で書かれた中傷ビラを自ら配るなどでシーズン閉幕前に解雇され
自由契約
となり大幅な年俸アップで巨人と契約した。
6月7日
の
東京ドーム
での阪神戦で元チームメイトの
和田豊
が
打席
をはずした際に和田に危険球を投げて問題になった。退場処分にはなってないが10日間の出場停止と罰金が科せられた。その日のインタビューでメイはインタビュアーの「あの危険球は元同僚の和田を狙ったものか」という質問に対し「To Him(彼を狙った)」と答える。12勝を挙げる活躍でリーグ優勝・日本一に貢献。も10勝と2年間で22勝をあげてチームに貢献した。
6月26日
札幌ドーム
初の公式戦先発し、1回表初球を先頭打者
福留孝介
が
本塁打
。札幌ドームで初めて被本塁打を記録した投手。
メジャー復帰を巨人に直訴して退団。よりメジャーリーグ
カンザスシティ・ロイヤルズ
と契約、には10勝を挙げた。に
サンディエゴ・パドレス
に移籍したが、同年7月にヤンキースに移籍。
気分屋であり、登板が終わると試合終了を待たずに帰宅することもあるようだ。
阪神に恨みを抱いているイメージが強いが、に阪神が優勝した際は
デイリースポーツ
にお祝いのコメントを寄せていた。コメントでは
藪恵壹
と仲が良いことをアピールしていた。
◆ 背番号
・
69
(1998年 - 1999年)
・
42
(2000年 - 2001年)
◆ 年度別投手成績