バル・コクバはヤコブ族の子、シモン・ベン・コスバとしてユダヤに生を受けた。彼は131年にエルサレムがアエリア・カピトリーナとして再開発されるという計画を知り激怒したユダヤ人の一人であり、同志を率いてローマ帝国に対して蜂起、ユダヤの独立を宣言した。当時のユダヤ教のラビの最高指導者と言われていた
ラビ・アキバはシモンのカリスマに打たれ、彼を聖書が予言したユダヤの救世主(
メシア)であると宣言した。これを受けてユダヤ教の聖職者たちは全面的に彼を支援することとなった。アキバはシモンにバル・コクバ(星の子)という名前を与えた。これは、民数記24章17節の「ヤコブから一つの星(コーカーブ)が出る」という句を踏まえたものである。
ユダヤ人からメシアの地位を承認されたバル・コクバはユダヤ国の大公(
ナーシー)に即位し、ラビ・アキバの補佐の下エルサレムで2年半の間全ユダヤを統治した。しかしローマ帝国は西方から軍隊を呼び寄せ反撃を開始、ユダヤ国の支配地域は次々とローマ帝国に再征服されていった。最終的に135年エルサレムは陥落し、ユダヤ国は滅亡した。大公であるバル・コクバとラビ・アキバはローマ軍により殺され、多くの高官たちが死刑となった。
ユダヤ国滅亡の後、エルサレムは予定通りローマ風の都市として再開発され、ユダヤ人は4世紀までエルサレムへの立ち入りを禁止された。またユダヤ国滅亡の後、ユダヤ人はバル・コクバを『ほら吹き』とののしるようになり、『バル・コゼバ』と呼ばれた。また戦争の際キリスト教徒のみが彼をメシアとして認めなかったため、ユダヤ教とキリスト教の分離がさらに進んだ。