1847年11月8日、
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国のアイルランド・
ダブリンでアイルランド政庁の公務員である父母の3人目として生まれた。6人の兄弟がいる。病弱で7歳まで歩けなかった。16歳、ダブリン大学の
トリニティ・カレッジに入学。
オスカー・ワイルドと知り合いでクリスマスにワイルドの両親に招かれた(後にワイルドの恋人だったフローレンス・アン・レモン・バルコム(女優)と結婚する)。劇に興味を持ち劇評を書いたりしてヘンリー・アーヴィングに知り合う。大学卒業後政庁に就職も文筆活動は継続。カレッジの先輩
シェリダン・レ・ファニュの女吸血鬼小説『
カーミラ』を読む。30歳、アーヴィング劇団の秘書になった。アーヴィングのライシーアム劇場のビーフ・ステーキ・クラブの運営も手伝う。43歳、アーヴィングの家でハンガリーのブダペスト大学の東洋言語学教授
アルミニウス・ヴァーンベーリに出会う。ある図書館で『ワラキア公国とモルダヴィア公国の物語』に「串刺し公」
ヴラド・ツェペシュの記述をみつけた。
1897年に『吸血鬼ドラキュラ』を出版。ただちにアーヴィングが演劇化したこともありこの小説はよく売れた。その収入はアーヴィングの死後、ライシーアム劇場が焼失した際の処分の為の費用に使われたという。1912年4月20日死去。