ケンブリッジ大学・
トリニティ・カレッジの
バートランド・ラッセルのもとで哲学を学ぶが
[『ウィトゲンシュタインの知88』 24頁。]、第一次世界大戦後に発表された初期の著作『
論理哲学論考』に哲学の完成をみて哲学の世界から距離を置く。その後、小学校教師になるが、生徒を虐待したとされて辞職。トリニティ・カレッジに復学してふたたび哲学の世界に身を置くこととなる。やがて、ケンブリッジ大学の教授にむかえられた彼は、『論考』での記号論理学中心、言語間普遍論理想定の哲学に対する姿勢を変え、コミュニケーション行為に重点をずらしてみずからの哲学の再構築に挑むが、結局、次の著作となるはずであった『
哲学探究』は完成されることなく、癌によりこの世を去る。62才。生涯独身であった。