お七は
天和2年12月28日(西暦1683年1月25日)の大火(
天和の大火)で
檀那寺(駒込の
円乗寺、
正仙寺とする説もある)に避難した際、そこの寺小姓
生田庄之助(吉三もしくは吉三郎とも、または武士であり
左兵衛とする説もあり)と恋仲となった。翌年、彼女は恋慕の余り、その寺小姓との再会を願って放火未遂を起した罪で捕らえられて
鈴ヶ森刑場で
火刑に処された。遺体は、お七の実母が哀れに思い、故郷の
長妙寺に埋葬したといわれ、
過去帳にも簡単な記載があるという。
甲斐庄は
評定の場において「お七、お前の歳は十五であろう」と謎を掛けた。それに対し彼女は正直に16歳であると答えた。甲斐庄は彼女が自分の意図を理解出来てないのではと考え、「
いや、十五にちがいなかろう」と重ねて問いただした。ところが彼女は再度正直に年齢を述べ、かつ証拠としてお宮参りの記録を提出することまでした。これではもはや甲斐庄は定法どおりの判決を下さざるを得なかった
[年齢については異説がある。覗きからくりの歌の中では「十四と云えば助かるに 十五というたひと言で 百日百夜は牢住まい」と歌われる。]。