埼玉県立浦和高等学校 wikipedia|無料辞書
◆概要
1895年、埼玉県第一尋常中学校として創設された旧制浦和中学校を前身とし、戦後、新制埼玉県立浦和高等学校となった。開学以来
男子校である。
東京大学合格者数では以前より人数を減らしたものの常に上位に入っており、
2007年春には33人を輩出し、
公立高校では合格者数全国1位となった。最寄り駅は
京浜東北線北浦和駅。東口から徒歩にて約12分。通称「
浦高(うらこう)」。
◆校訓
;尚文昌武(しょうぶんしょうぶ)
:文を尊び、武を昌んにするという意味。二代目校長による造語である。
◆学校行事
学業面のみではなく、
国営武蔵丘陵森林公園における新入生歓迎
マラソン、浦和〜
古河間50kmの古河強歩大会、遠泳を行う臨海学校、有志の
スキー教室、クラス対抗のスポーツ大会などがあり、スポーツにも力を入れている。このほか、文化祭(浦高祭。毎年9月第2土日開催)をはじめ、学校行事はかなり豊富である。体育行事の多さから新入生は入学当初、自分たちは「浦和体育専門学校」に入学したのかと囁き合うが、じきに浦高のこの教育に染まってゆく。クラス対抗の文化大会もあり、こちらもスポーツの大会には及ばずとも白熱する。
神奈川県立湘南高等学校とは、全校を挙げて運動部定期交歓戦兼文化部交流会(いわゆる「湘南戦」。湘南側では「浦高戦」と呼んだ)が毎年5月に開催されていたが、湘南側の女子比率増大等の影響により、イベントとして長期低落傾向に入り、2002年の第46回を最後に廃止された。
埼玉県立熊谷高等学校とは100年に1度という約束で、開校100周年の年に「熊高戦」が行われた。
◆施設
住宅地の中にある割には、野球とサッカーを同時に行える広さのグラウンドやテニスコート2面、弓道場、体育館(2003年8月まで2つあった)、開閉式の水泳場などがある。4月や10月などは学校の塀の内側にある走路を、歓迎マラソンや強歩大会に耐えるため体育着で走り回る在校生の姿を見ることができる。校舎はA、B、C棟、芸術棟(D棟ともいう。現在の
埼玉県立大宮中央高等学校の前身である、埼玉県立浦和通信制高等学校の校舎を改修の上、転用した)、家庭科棟などに分かれる。A棟とB棟の間の中には昔の表玄関があり、パルテノンと呼ばれる。また、食堂のある麗和会館という建物もある。他に、運動部室棟、文化部室棟(その造りから『長屋』と呼ばれている)などが設置されている。図書館はA棟の3階にあり、自習しやすい場所である。
◆学生生活・学風
自由な校風であり、細かな規制は存在しないが、入学時に
バイクの
免許は取らないようにとの覚書は提出する(埼玉県立高校共通)。生徒は
学ランを制服として着用する。自由な校風ゆえに校規検査は行われない。
イギリスの
パブリックスクール・
ホイットギフト校と兄弟校となっている。卒業生には公費で留学していた人もいる。「雨天決行の原則」というのがあり、台風襲来時の臨海学校の遠泳を除き、雨が降ろうと行事を中止しない。学校の回りは
コンビニエンスストアや飲食店も存在し、昼時には在校生が出てきて賑わう。
同校の校風を象徴するもののひとつに「まるト」と呼ばれるものがある。表記上は「まるト」ではなく、カタカナの「ト」の字が丸で囲まれている。主に教師の出張等によって発生するもので、本来の意味は「図書館で自習」(トは図書館の意)というものであるが、基本的には何をしても自由である。これは、同校の生徒による「自主・自律」を重んじる校風から生まれたものであるため、誰も見回りに来ることはない。またこの「まるト」は、担当教師の都合さえつけば移動させることもできる。例えば、この「まるト」をその日の6時限目の授業と交換すると、5時限目が終了した後は帰ってもよいということになる。ただしこの場合でも部活動(特に運動部の練習)のある生徒は帰宅できないため、4時限目に「まるト」を移動し、早く食堂に行くという使い方もよくなされる。このシステムのため、「まるト」が多く出た日には、食堂で人気の高いメニューが昼休みに入る前に売り切れることも珍しくない。
◆部活動
(共学校であれば同じ競技でも男女に別れるが)男子校ゆえに1つの部に多くの人数が集まることも多く、その分、大会のベンチ入りは倍率が高くなる。
近年では、
全国高等学校クイズ選手権にて、
2005年の第25回と
2006年の第26回で優勝し、大会史上初の複数回優勝と2連覇、さらに世界大会制覇(ただし参加は日韓2ヶ国のみ)を成し遂げた。第27回では、3大会連続での決勝進出を決めるも、鹿児島県の
ラ・サール高校に阻止され、準優勝に終わった。高校生クイズの全国大会へは、5回出場している(第15回、第25回、第26回、第27回、第28回)。
◆歴代校長一覧