29歳の時、故郷に帰り、翌年より36歳の年まで俳諧の修行のため
近畿・
四国・
九州を歴遊する。39歳のとき再び帰省。病気の父を看病したが1ヶ月ほど後に死去、以後
遺産相続の件で継母と12年間争う。一茶は再び江戸に戻り俳諧の宗匠を務めつつ遺産相続権を主張し続けた。
50歳で再度故郷に帰り、その2年後28歳の妻
きくを娶り、3男1女をもうけるが何れも幼くして亡くなっていて、特に一番上の子供は生後数週間で亡くなった。きくも
痛風がもとで37歳の生涯を閉じた。2番目の妻(
田中雪)を迎えるも老齢の夫に嫌気がさしたのか半年で離婚。3番目の妻
やをとの間に1女・
やたをもうける(やたは一茶の死後に産まれ、父親の顔を見ることなく成長し、一茶の血脈を後世に伝えた。1873年に46歳で没)。
幼少期を過ごした家庭環境から、いわゆる「継子一茶」、義母との間の精神的軋轢を発想の源とした自虐的な句風をはじめとして、風土と共に生きる百姓的な視点と平易かつ素朴な語の運びに基づく句作が目を引く。