高祖自身が戚夫人を寵愛しており、されに当時の皇太子・
劉盈に対して父親である高祖自身が、その資質に前々から疑問と不安を抱いていたこと、さらに盈とは対照的に如意が活発な子供であったことから、高祖も徐々に盈を廃嫡して、如意を立てることを考え始める。
だが、高祖が皇太子交代の意向を漏らし始め、重臣達に諮るも重臣達は尽く反対。さらに、高祖の信任が厚い
張良の助言を受けた盈がかつて高祖が招聘に失敗した有名な学者達を自らのもとに招いたことが決定打となり、高祖は皇太子を従来の通り、盈とすることを決め、如意は
趙王のままとされた。
先ず、戚夫人を捕らえて永巷(えいこう。罪を犯した女官を入れる牢獄)に監禁し、一日中、米を搗かせる刑罰を与えた。戚夫人が自らの境遇を嘆き悲しみ、詠んだ歌は「永巷歌」として、『漢書』にある。
長安に入朝した
如意を毒殺。次いで、戚夫人に?薬(いんやく)を飲ませて声を奪い、聴覚を失わしめ、目をくりぬいたうえで、手足を断ち、厠に投げ入れ、これを「人豚」と称して見せしめにしたという。これを目の当たりにした
恵帝はショックで寝込んでしまい、政務を放棄したという。