この時代を「周の統一時代が終わって分裂状態になり、最後に秦によって再統一された。」と言う見方は間違いである。再統一をした秦自身が周初から存在した国ではなく、いわば後から中国と言う枠組みに参加してきたのである。他にも南の
楚は元々は自ら王号を称える独自の国であった。また東・北についても
斉や
晋などの国により領域が拡大され、秦が統一した領域は周が影響力を及ぼした領域よりも遥かに広いものである。
周辺部だけではなく、内地に関しても大きな変化が起こった。春秋時代の半ば頃まではそれぞれの邑(村落)が国内に点在し、その間の土地は必ずしもその国の領域に入っている訳ではなく、周(もしくは周の諸侯)に服属しない異民族が多数存在していた。それが時代が下るとそれまでの点と線の支配が面の支配へと移行していった。
春秋時代の終わり・戦国時代の始まりについては諸説あり、
晋の家臣であった韓・魏・趙の三国が正式に諸侯として認められた時
紀元前403年とする説。
紀元前453年に韓・魏・趙が知氏を滅ぼして独立諸侯としての実質を得た時との見方を取る『
資治通鑑』説の二つが主流である。この他に『春秋』は
魯哀公十四年(
紀元前481年)に「
獲麟」(
麒麟を獲た)の記述で終了するので、これをもって春秋時代の終わりとする説、『
史記』の『六国年表』が始まる
紀元前476年とする説などがある。