一般に広く流布されている説によれば、江戸開府の際に
織田信長の弟、
織田長益(有楽斎)が
徳川家康より数寄屋橋御門周辺の土地を拝領し、屋敷を設けた。このことから、この辺りを「有楽原」(うらくはら)、「有楽ヶ原」(うらくがはら)と呼ぶようになり、明治時代に「
有楽町」という地名が名付けられたといわれている(読みも「ゆうらくちょう」に改められた)。 しかし、織田有楽斎は、生涯のほとんどを
上方で過ごしており、江戸に屋敷を拝領したという記録も現存していない。むしろ、江戸開府期には、この辺りまで海が入り込んでいた(日比谷入江)ことから、「浦原」「浦ヶ原」から転じたのではないか、という説がある。
1707年には
南町奉行所が開設された。