虚子らが掲げる「俳句こそは花鳥諷詠、客観写生である」という理念に飽き足らず、
俳諧の道は「生命を打ち込んで真剣に取り組むべきものである」として
芭蕉の俳諧精神を尊んだ。東洋城が週に一度開催した句会には、
長谷川零余子、
岡本松浜、
野村喜舟、
飯田蛇笏、
久保田万太郎、
小杉余子ら後世に名を残す俳人が数多く集った。各地で渋柿一門を集めて盛んに俳諧道場を開き、人間修業としての『俳諧道』を説き子弟の育成に努め、門下から多数の優れた俳人を輩出した。
1952年(
昭和27年)隠居を表明し『渋柿』選者を喜舟に譲る。
1954年(昭和29年)
日本芸術院会員。
; 『俳諧道』: 昭和13年に渋柿社より出版された東洋城の処女出版物。俳誌『渋柿』に毎号掲載した巻頭言の大正4年2月創刊号から昭和13年2月号までの300余篇の集成。その多くが俳句論で俳人の間で広く読まれた。