1945年(昭和20年)
8月14日、
御前会議において
ポツダム宣言の受諾が決定された。ポツダム宣言は「全日本国軍隊ノ無条件降伏」(同宣言13条)などを定めていたため、その受諾は太平洋戦争(大東亜戦争)において日本が降伏することを意味した。御前会議での決定を受けて同日夜、詔書案が
閣議にかけられ若干の修正を加えて文言を確定した。詔書案はそのまま昭和天皇によって裁可され、終戦の詔書(大東亜戦争終結ノ詔書、戦争終結ニ関スル詔書)として
発布された。この詔書は、天皇大権に基づいてポツダム宣言の受諾に関する勅旨を国民に宣布する文書である。ポツダム宣言受諾に関する詔書が発布されたことは、
中立国の
スイスを通じて
連合国側に伝えられた。但し、事前交渉は軽井沢の
旧三笠ホテルでの
スウェーデン公使との交渉が行なわれている。
前日には予め「15日正午より重大発表あり」という旨の報道(
ニュース)があり、また当日朝にはそれが天皇自ら行う放送であり正午には必ず国民はこれを聴くようにとの注意が行われた。当時は電力事情悪化のため間欠送電となっている地域もあったが、この時は特別に全国で送電される事にもなっていた。また当日の朝刊は放送終了後以降の午後に配達される特別措置が採られた。
放送は玉音盤(ぎょくおんばん)と呼ばれる
アセテート盤(
アルミニウム製の心材を
セルロースの化合物でコーティングしたもの)
レコード録音によるものであったが劣悪なラジオの所為で音質が極めて悪い上に天皇の朗読に独特の節回し(天皇が自ら執り行う宮中祭祀の
祝詞の節回しに起因するという)があり、また詔書の中に難解な
漢語が相当数含まれていた為に論旨はよく解らなかったという人々の証言が多い。朗読やそれを聴く周囲の人々の雰囲気、玉音放送の後の解説等で事情を把握した人が大半だった。また殆どの国民にとって天皇の肉声を聴くのはこれが初めての機会であった為に、天皇の声の異様さ(朗読の節、声の高さ等)に驚いたというのもしばしば語られる事である。また
沖縄で玉音を聞いた
アメリカ兵が日本人
捕虜に「これは本当にヒロヒトの声か?」と訊ねるも、答えられる者は誰一人居なかったというエピソードがある。