高祖が挙兵し
咸陽を落としたころ、王陵は数千の兵を集めて南陽に割拠し、高祖に従おうとはしなかった。高祖が
項羽と戦うようになると、王陵は漢に属するようになった。項羽は王陵の母を人質にして王陵を従わせようとしたが、王陵の使者が項羽の元を訪れた際、王陵の母は「漢王(高祖)に従うように。私のために二心を持ってはいけません」と使者に伝えさせると、自分は剣に伏して自殺した。項羽は怒ってこの母を煮た。王陵は高祖に従属し続けた。
恵帝の死後、
呂后は自分の一族呂氏を王にしようとした。王陵にそのことを尋ねたところ、「高祖は「劉氏以外で王になるものがいたら天下皆でこの者を討て」と白馬を生贄にして盟を行いました。呂氏を王とするのはこの盟に背くものです」と答えたため、呂后は喜ばなかった。同じことを陳平、
周勃らに尋ねたところ、「高祖は天下を統一すると自分の子弟を王としました。今は皇太后(呂后)が天下を治めているのですから、呂氏の子弟を王として問題はありません」と答え、呂后を喜ばせた。王陵は後で陳平らを「君たちは高祖との盟の時にその場にいなかったのか?何の面目があって死後の世界で高祖に会えるというのだ」と責めたが、陳平は「朝廷で主と面と向かって争う点では私は貴方にかないませんが、社稷を全うし、劉氏の後継者を定めるという点では貴方は私に及びません」と答え、王陵は言い返せなかった。