東京帝国大学機械工学科卒業。神戸製鋼で働いていたが、
1924年、
星製薬に入社。そこで印刷部主任をしていた
森澤信夫(のちに
モリサワを創業)と出会い、ともに写真植字機の実現を目指すことを誓う。石井の実家は米穀商であったため、その資金力を背景に
1926年、石井写真植字機研究所を設立。森澤とは後に方針の違いから決別するが、この研究所が後に
写研となり、日本の印刷・出版業界をリードする企業に育っていく。
石井は自分自身で書体のデザインも手がけ、むしろその方面での評価が高い。彼の手になる
石井明朝体、
石井ゴシック体など数々の石井書体をはじめとして、写研の
書体(
フォント)の質の高さは彼以来の伝統であり、
DTPの怒濤の普及の中で、高価な写研の独自仕様のシステムが戦っていられるのは、
組版品質の高さ以上に、外部に開放しなかったその高品位の書体のゆえであるという。