第二次世界大戦前から戦中に掛けて、立命館大学は世相を反映して
国家主義的傾向が強まっていった
[桑原武夫の研究によると学生が「禁衛隊」を名乗り京都御所の警護を申し出ていために、GHQは神宮皇学館とともにとり潰す大学の筆頭としたという。]。しかし、一方で
滝川事件(立命館大学では「京大事件」と呼称)の際には同事件に連座して
京都帝国大学を退官した教員を受け入れていた。終戦直後、同事件に連座し、京都大学から
大阪商科大学へ移っていた
末川博を学長へ招聘した。その末川を中心に大学の改革へ乗り出す。
憲法と
教育基本法を尊重して「平和と民主主義」を守ろうという末川の思想が中心となって、立命館大学は「民主的な学園運営」「自主的学習の尊重」の2本柱によって構成され、以下に記載する取り組みが現在の立命館大学に至るまで実施され続けている。末川が立命館大学に与えた影響は極めて大きく
[立命館大学父母教育後援会『この歩み 立命館』1994年,]、これらの功績を讃えて、同大学では末川を
名誉総長として顕彰している。また、末川が構成した思想を「立命館民主主義
[中村龍兵『挑戦する立命館ー大学改革とは何か』エトレ,1997年][立命館大学学園通信『百二十年の歴史を訪ねて』]」と呼んでいる。
・理事会・教授会・・教職員組合などの全ての学園組織と学生の代表を加えた全学協議会制度を創設し、学園運営の重要事項の合意を形成する(建物の建設などにおいては、机や椅子の配置から教室の大小まで協議を行う。1949年創設)。