1920年(大正9年)
沼津の自然を愛し、特に
千本松原の景観に魅せられて、一家をあげて沼津に移住する。大正11年10月、御代田駅より岩村田へ向かい、佐久ホテルに逗留し、数々の作品を残す。
1926年(大正15年)詩歌総合雑誌「詩歌時代」を創刊。この年、
静岡県が計画した千本松原伐採に対し、新聞に計画反対を寄稿するなど運動の先頭に立ち、計画を断念させる。
1927年(昭和2年)妻と共に
朝鮮揮毫旅行に出発し、約2ヶ月間にわたって
珍島や
金剛山などを巡るが、体調を崩し帰国する。翌1928年夏頃より病臥し、自宅で死去する。享年43。沼津の千本山乗運寺に埋葬される。
戒名は古松院仙誉牧水居士。
旅を愛し、旅にあって各所で歌を詠み、日本各地に歌碑がある。大の酒好きで、一日一
升程度の酒を呑んでいたといい、死の大きな要因となったのは
肝硬変である。ちなみに、夏の暑い盛りに死亡したのにもかかわらず、死後しばらく経っても死体から腐臭がしなかったため、「生きたまま
アルコール漬けになったのでは」と、医師を驚嘆させた、との逸話がある。自然を愛し、特に終焉の地となった沼津では千本松原や
富士山を愛し、千本松原保存運動を起こしたり富士の歌を多く残すなど、自然主義文学としての短歌を推進した。