寛永の始めから
寛文頃までがその全盛期で、僧形の芸人が門付け(門説経)や、街角に傘を立てて
ささら・
鉦・
羯鼓を伴奏として興行を行った。後には
三味線を取り入れたり、小屋にて
操り人形とともに行われるようになった。これは戸外で行われる「歌説経」・「門説経」に対して「説経座」と呼ばれる。また
祭文と組み合わせた「説教祭文」と呼ばれるものも生まれた。だが、その性質上どうしても内容が仏教的なものに限られてきてしまうため、次第に
義太夫節に圧倒された。しかしその近世芸能に与えた影響は大きい。