賈誼は、当時の博士の中で最も年少ではあったが、詔令の下るたびに真っ先に意見を具申することができたので、その年のうちに太中大夫に昇進する。漢の制度に関して、
儒学と
五行説にもとづいて「正朔を改め、服色をかえ、法度を制し、礼楽を興す」べきことを主張した。そうした賈誼を、文帝はさらに
公卿にしようとしたが、
前178年、それを嫉んだ丞相絳侯
周勃・東陽侯
張相如・
馮敬等の讒言により、長沙王の太傅として左遷させられてしまう。
ちょうどこのころ、漢朝にとって諸侯王国は大きな脅威となり、
匈奴も辺境を侵略しつつあった。そうした多様な社会問題に対し、賈誼も対策を上奏している。今日「治安策」と呼ばれているのが、それである。第一に諸侯が強力であるのを抑制すべきであること、第二に蛮夷を侮らず警戒すべきことなどを説いている。
彼の文章は議論と叙事が錯綜し、雄渾流麗、古来名文として名高い。代表的な韻文としては、他に長沙在任中の「鵬鳥賦」があり、これも『文選』に収録されている。秦を批判する「過秦論」も著名であり、これらの散文をまとめたものとして、『新書』がある。