岡山県尋常中学校(後の岡山一中、現在の
岡山県立岡山朝日高等学校)を卒業し、
1898年東京専門学校(後の
早稲田大学)文学部史学科に入学。それ以前に
慶應義塾に籍を置いたこともあるが、2ヶ月で退学している。卒業後、
坪内逍遥の紹介で、
博文館に入社するも5ヶ月で退社。その後、東京専門学校出版部に入る。1904年、
中央公論の記者となるが、ここも7ヶ月で退社している。文壇デビューは、在学中の
1901年、
読売新聞紙上の
文学合評「月曜文学」第一回、「鏡花の註文帳を評す」である。最初の小説は『食後』(1907年)。
作家としての地位を確立したのは、『別れたる妻に送る手紙』や『黒髪』を代表とする、いわゆる情痴文学である。晩年は両目とも失明した。