豊臣秀吉が
天正17年(
1589年)に出した
伴天連追放令以後、
太陽神・
天照大神の末裔である
天皇と天皇によって任命され政治的な正統性を付与された
関白及び
将軍(
幕府)の至上性を認める
宗門のみが
日本における
正法(正しい宗教)であり、これを認めない宗門は日本の正統な国家秩序を破らんとする「
邪法」を奉じる宗門、すなわち「邪宗門」であるとの位置付けが行われ、江戸幕府もこれを継承して
島原の乱などを通じて多数のキリスト教徒が迫害された。これにより、一般民衆に対してキリスト教=邪宗門とする観念が植え付けられた。
明治維新の直後に
明治政府から出された
五榜の掲示の中にはキリスト教禁止が掲げられてなおかつ文中に「切支丹邪宗門」の文言がある事を知った
欧米諸国は明治政府に猛抗議を行い、慌てて「切支丹・邪宗門」と訂正させたとされている。だが、
明治6年(
1873年)のキリスト教解禁までには紆余曲折があり、特に300年近くにわたってキリスト教=邪宗門の観念を植え付けられてきた一般民衆の間にも解禁に対する恐怖を訴える者もあったとされている。その不安と蔑視はキリスト教解禁後も続き、国家及び民間からの様々な圧迫が日本のキリスト教徒に対して加えられていく遠因にもなった。